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東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)229号 判決 1981年4月14日

原告

佐々木正泰

右訴訟代理人

斎藤一好

外二名

被告

中央選挙管理会委員長近藤英明

右訴訟代理人

石津廣司

右指定代理人

藤原利紘

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  (原告の請求の趣旨及び請求の原因)

原告は、「昭和五五年六月二二日に行われた最高裁判所裁判官谷口正孝、同宮崎梧一、同伊藤正己及び同寺田治郎に対する国民審査は無効である。訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

1  被告は、中央選挙管理会(以下「管理会」という。)の委員長であり、原告は、肩書地に居住し、衆議院議員選挙権及び最高裁判所裁判官国民審査権を有する者であるところ、昭和五五年六月二二日に行われた衆議院議員選挙(以下「選挙」という。)及び最高裁判所裁判官国民審査(以下「審査」という。)の投票日に、原告は宮崎市北第五投票区投票所において、それぞれ選挙及び審査の投票を行つた。

2  被告は、昭和五五年六月二二日に行われた選挙と同時に行われた審査について、最高裁判所裁判官国民審査法(以下「審査法」という。)第五条の定めに従つて、昭和五五年六月二日中央選挙管理会告示第八号をもつて、投票期日を同年六月二二日、審査に付される裁判官の氏名を裁判官谷口正孝、同宮崎梧一、同伊藤正己、同寺田治郎と告示した。

3  右審査執行のために被告の設けた投票所は、審査法第一三条の定めに従つて設けられた結果、選挙の投票所と審査の投票所の出入口は同一であつて、投票者が入場すると、選挙の投票用紙と審査の投票用紙が一緒に交付され、同一の記載台において、それぞれの記載をした後、まず選挙の投票を行い、引きつづいて審査の投票を行つた後、同一の出口から退場するように準備されていた。

4  したがつて、投票者は、ひとたび投票所に足を踏入れると本人の意思いかんにかかわらず、選挙と審査の二枚の投票用紙が交付され、その各投票用紙は持帰ることが許されず、また、選挙の投票だけを済ませて、入口に後戻り退場することも許されないので、何も知らない者は審査の投票用紙をそのまま投票函へ投入するような投票管理人の指図どおりの投票が行われた。

5  その際、各審査人に対して交付された投票用紙は、審査法第一四条の定めに従つて作成された結果、その投票用紙には、谷口正孝外三名の裁判官の氏名が連記され、その各裁判官の氏名の上方に、罷めさせたい裁判官に×の記号を付けるところを一か所だけ設け、任命を可とする記号を記載する箇所又は棄権の記載をする箇所が設けられてなく、かつ、投票用紙に×の記号以外の事項を記入したものは、同法第二二条の規定で無効とされている。

6  被告は、このように行われた投票の結果を、各審査分会からの報告に基づき、昭和五五年七月一日中央選挙管理会室において審査会を開いてこれを調査し、審査法第三二条の定めに従つて、無効投票以外の投票を、罷免を可とする票と罷免を可とする投票でない票との二種類に分けて、審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免理由の有無の判らない者等の絶対多数の無記入投票を全部罷免を可としない部類に算入して、全裁判官の罷免を可としないことに決定し、同年七月七日、同会告示第一四号をもつて、審査に付せられた裁判官はいずれも罷免を可とする投票の数が、罷免を可としない投票の数より少数であるから、罷免されない旨を告示した。

7  しかし、右法条による審査は、左の理由によつて無効である。

(一)  まず、憲法第七九条の定める審査は、国民の意思によつて、裁判官に対して罷免を求める、いわゆる裁判官に対する解職投票を行う制度ではなく、同項の明文の示すように、天皇又は内閣の任命行為の適否を審査決定する制度であつて、その投票は、つねに天皇又は内閣の任命行為に対する信任投票として行うべきものである。少くとも、わが憲法の規定の上では「任命を可とするか、罷免を可とするか」の形式で行われるべきであつて、裁判官個人に対する解職投票を行うべきではない。

しかるに、現行審査法は、解職投票を規定し、この規定によつて今回の審査が行われたものであるが、これは明らかに前記憲法の条規に反するものであつて、法律上その効力のないものである。

(二)  次に、日本国民は憲法第一三条の定めるところに従つて、身体の自由を有し、投票所に出頭する自由と、出頭しない自由及び投票する自由と、投票しない自由を有する。審査法第一三条の定めに基づいて設けられた今回の投票所は、選挙の投票所と共通の入口と出口とが各一か所であつて、選挙の投票を行わんとする者は、いやおうなしに審査の投票所に入らなければ場外に出られない施設になつているので、各審査人は、全く審査の投票所に入らない自由を奪われたのみならず、審査人が投票所に入つた限り、本人の意思いかんにかかわりなく投票用紙が交付され、管理人監視のもとに、その持ち帰りが許されず、また、選挙の投票だけを済ませて入口に後戻つて退場することも許されずして、そのまま審査の投票用紙を投票函に投入しなければならない仕組になつていたので、各審査人は、審査の投票所に入場しない自由と審査の投票を行わないことの自由(棄権の自由)が奪われていた。

これらは、投票所に入りたくない審査人に対して投票所への出頭を強制したことになり、また、投票を欲しない審査人(審査を棄権したい人)に対し、投票を強いたことになり、まさに、憲法第一三条で、最も尊重されなければならない自体の自由及び表現の自由を侵したことの甚しいものであるから、この施設によつて行われた今回の審査は当然無効である。

(三)  さらに、審査法第一四条の定めに基づいて投票用紙を作成し、谷口正孝外三名の裁判官の氏名を連記して、各裁判官についてその任命を可とする記号をつける箇所を設けず、ただ、各裁判官の氏名の上に、罷めさせたい裁判官に×の記号をつけるところ一か所だけを設け、同法第二二条の定めにより、投票用紙に「×の記号以外の事項」を記入したものを無効として取扱つたのでは、一人の裁判官に対し罷免投票を行い、他の三名の裁判官に対して棄権したい審査人は、一人の裁判官に対する「罷免の投票」を断念するか、他の三名に対する「罷免を可とする投票でない投票」に甘んずるかの二者何れかを選ぶほかなく、これは明らかに投票の自由を奪うものであつて、これまた、憲法第一三条で保障された身体の自由と、同法第一九条、第二一条で保障された思想及び良心の表現の自由を奪うものというべきであるから、右のような規定に基づいて行われた今回の審査は、この点でも憲法上当然無効のものである。

(四)  なお、日本国民は憲法第一九条、第二一条の定めるところによつて、思想及び良心の自由が保障され、各個人は自己の思想を、抱くがままに発表する自由を有し、自己の欲しない思想、良心の発表は、これを拒む自由が与えられ、各人の思想及び良心は、これを曲げて取上げられ、又はその希望に添わない法律上の取扱いを受けないということが保障されているのである。

審査法第三二条の定めによつて、無効投票以外の全投票を、×の記号ある投票と、無記入の投票との二つに別けて、×の記号のある投票を罷免を可とする投票とし、審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名をすら知らない者、各裁判官について罷免の事由の有無を知らない者等の無記入投票を全部「罷免を可とする投票でない投票」として取扱うことは、これら投票者の意思をまげて解釈し、かつ、本人の欲しない法律上の取扱いをするものであつて、この点でも前記憲法の条規に反する無効のものである。

(五)  最後に、審査法の前記各条規に則つて行われた今回の審査においては、憲法第一五条第三項で、各投票者に保障された投票の秘密が侵されていた。

すなわち、右条規によつて保障される投票の秘密とは、独り、何人のために投票が行われたかを外部から知ることができないというばかりでなく、何人のためにも投票が行われなかつた、換言すれば、棄権したかどうかが外部から知ることのできないことも保障されているのである。

しかるに、現行審査法においては、選挙又は審査を通じ、常識として行われなければならない「白票」による棄権が認められていないので、あえて棄権を行わんとすれば、(1)投票用紙を受取らないか、(2)受取つた投票用紙を返すか、(3)受取つた投票用紙を破棄してこれを投捨てるか、(4)受取つた投票用紙を投票函以外のところに置くか、(5)投票用紙に余事記入を行うか、であつて、その他に方法はない。

ところで、前記(5)の方法を除く(1)ないし(4)の方法による棄権は、後から後からと続く多くの投票者や選挙管理人、投票立会人等の面前で公然と行われなければならない方法であつて、棄権をすることが何人によつても容易に認識され、著しく棄権の自由と、その秘密が侵されているものであつて、この点でも今回の審査は無効である。

二  (被告の本案前の抗弁)

被告代理人は、本案前の抗弁として、「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

1  本件訴訟は、審査法第三六条の規定により提起されたもので、民衆訴訟に属するものである。しかして、原告の主張は、本件国民審査は、審査法の規定に従つて行われたものであるけれども、そもそも審査法に定める国民審査の方法が憲法違反であり、したがつて、同法の規定に則つて行われた今回の国民審査の手続が憲法の保障する国民の基本的人権を侵害したから、無効であるというのである。

しかしながら、審査法第三六条は、「審査の効力に関し異議があるときは、審査人又は罷免を可とされた裁判官は、……東京高等裁判所に訴を提起することができる。」と規定している。同条の規定のみを形式的に解釈するならば、「審査の効力に関し異議があるとき」においては、審査人は理由のいかんを問わず、訴を提起することができるかのごとくである。しかしながら、同法第三七条第一項の「前条の規定による訴訟においては、審査についてこの法律又はこれに基いて発する命令に違反することがあるときは、審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、裁判所は、審査の全部又は一部の無効の判決をしなければならない」と規定している。したがつて、審査法第三六条に基づく訴訟が提起された場合に、(一)裁判所は審査法の規定と具体的審査手続とが合致しているか否かということと、(二)両者が合致していないと認める場合(すなわち審査手続が違法な場合)において、はじめてその違法が審査の結果に異動を及ぼす虞があるか否かということの二点について判断し、審査手続が審査法に違背し、その結果審査の結果に異動があると認める場合に限つて、審査の全部又は一部の無効の判決をしなければならないのである。換言すれば、本件訴訟のように、審査手続は審査法の規定どおり行われたが、審査法の規定が憲法違反であるから、審査手続が無効であるという主張に対して、裁判所が審査法の規定の合憲性を判断し、あるいは具体的な審査手続の合憲惟を判断することは不必要な審理ないし判断であるというべきである。何となれば、行政庁の法規違反行為を弾劾するという民衆訴訟の本質にかんがみて、裁判所が審査の無効の判決をすることができるのは、審査法第三七条第一項に該当する場合に限られるのであるから、審査法が違憲であるとか、あるいは審査法に適合してなされた具体的な審査手続が違憲であると判断しても、裁判所は、そのような理由によつて審査の無効の判決をすることはできないからである。

このことは、民衆訴訟が国民の公共的、行政監督的立場から行政法規の違法な適用を是正するために法律に定められた範囲に限つて認められたものであるという民衆訴訟制度の本質から考えても、また審査法第三七条第一項の規定(この規定は裁判所法第三条に対する特別規定があつて、裁判所の権限の範囲を定める規定でもある。)から判断しても、容易に理解されるところである。

2  前述のとおり、最高裁判所裁判官国民審査の効力に対する異議の訴は民衆訴訟に属するものであり、審査法の認める範囲内においてのみ許容されるものである。ところで、右の訴の根拠となるべき審査法第三六条は「……審査人……は、……第三十三条第二項の規定による告示のあつた日から三十日内に東京高等裁判所に訴を提起することができる。」と定めているが、同法第三三条第二項は「中央選挙管理会は、前項の報告を受けたときは、直ちに罷免を可とされた裁判官にその旨を告知し、同時に罷免を可とされた裁判官の氏名を官報で告示し、且つ、自治大臣を通じて内閣総理大臣に通知しなければならない。」と規定しているのである。すなわち、審査法は最高裁判所裁判官国民審査において罷免を可とする裁判官があつた場合にのみ同法第三三条第二項の告示を行うべきこととし、また、かかる場合においてのみ、審査人等に当該国民審査の効力に対する異議の訴提起を許容しているのである。

そもそも、最高裁判所裁判官国民審査の効力に対する異議の訴のごとき民衆訴訟は、憲法第三二条にいう「裁判」にも、憲法第七六条にいう「司法権」にも含まれるものではない。かかる訴訟を認めるか否か、認めるとしてもどの範囲で認めるかは全て立法政策に委ねられているのである。審査法は、最高裁判所裁判官国民審査につき、罷免を可とする裁判官があつた場合とその余の場合をわけ、前者については司法権の頂点に位置する最高裁判所裁判官の失職という重大な効果に着目し、特にかかる場合にのみ審査人に訴提起を認めているのである。

以上のとおり、審査人が最高裁判所裁判官国民審査の効力に対する異議の訴を提起しうるのは、当該国民審査において罷免を可とする裁判官があつた場合に限られるところ、本件国民審査においては罷免を可とする裁判官はなく、本件訴訟は不適法であり、却下を免れない。

三  (本案に対する被告の答弁)

被告代理人は、本案に対する答弁として、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の請求原因に対し、

1  第一項は認める、

2  第二項は認める、

3  第三項は認める、

4  第四項は争う、

5  第五項は認める、

6  第六項は認める、ただし、「審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免理由の有無の判らない者等の、絶対多数の無記入投票を全部罷免を可としない部類に算入して」という主張は争う、

7  第七項の主張は争う、

と述べ、なお、次のとおり主張した。

1  (請求原因第七項(一)の主張について)

最高裁判所裁判官に対する国民審査が裁判官に対する解職投票であることは憲法第七九条の規定自体により明らかであり、最高裁判所判決(昭和二四年(オ)第三三二号同二七年二月二〇日大法廷判決・民集六巻二号一二二頁)によつて確認されたところである。

信任投票であるとする原告の主張は、原告独自のものであり、失当である。

2  (請求原因第七項(二)の主張について)

本件国民審査の投票所には、投票用紙交付場所、投票記載場所等審査人の容易に見える場所(宮崎市北部第五投票区投票所では投票記載場所)に、「投票したくない人は、投票用紙を受け取らないで下さい。投票用紙を受け取つたあとでも、投票したくない人は、投票箱に入れないで係員に返して下さい。」との文言を記載した注意書が掲示されていたものである。すなわち、投票所に出頭した審査人に対し係員が衆議院議員選挙の投票用紙とともに国民審査の投票用紙をさし出したとしても、審査人は、審査の投票用紙を受けとらない自由及び受け取つた投票用紙を返却する自由を認められていたのである。したがつて、原告を含め審査人が、審査の投票を強制されたことも、棄権の自由を奪われたこともなかつたのである。

また、憲法第七九条第二項は、国民審査は、必ず衆議院議員総選挙の際に行うべきことを定め、更に審査法第一三条は「審査の投票は、衆議院議員総選挙の投票所において、その投票と同時にこれを行う」と規定している。しかも、選挙のため投票所に入つた者が、審査の投票をすることなく審査投票所を通過するだけで退出することができたものであり、国民審査の投票所への出頭を強制されたとか身体の自由を奪われたこともなかつた。

以上のとおり、本件国民審査が憲法第一三条に反して行われたとの原告の主張は明らかに失当である。

3  (請求原因第七項(三)、(四)の主張について)

国民審査の本質は解職投票であるから、審査人が積極的に罷免したい裁判官に対する「罷免を可とする投票」と罷免の意味を伴わない「罷免を可とするものではない投票」との二者にだけ区別すれば充分である。したがつて、原告主張のごとく、後者を「審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名すら知らない者、各裁判官について罷免の事由の有無を知らない者等の無記入投票」に区別する必要は全くない。

また、二人以上の裁判官に対してそれぞれ別個の投票権を有し、その行使が一枚の投票用紙によつて行使されるものではなく、数名の裁判官国民審査につき各審査人の有する投票権は一票である。

前記最高裁大法廷判決に判示されるとおり、「法が連記制をとつたため、二、三名の裁判官だけに×印の投票をしようと思うものが、他の裁判官について当然白票を投ずるの止むなきに至つたとしても、それはむしろ国民審査制度の精神に合致し、憲法の趣旨に適するものである。決して、憲法の保障する自由を不当に侵害するなどというべきものではない。」のである。

したがつて、本件国民審査が身体の自由、思想及び良心の自由を奪つたとする原告の主張もまた失当である。

4  (請求原因第七項(五)の主張について)

国民審査の本質から考えて、投票の秘密は、投票者がどの裁判官に対して「罷免を可とする投票」をなしたか、具体的にいうならば投票用紙に連記して印刷された四名の裁判官の何人の氏名に×印を記入したかについて保持されれば足りるものである。「多くの投票者や選挙管理人、投票立会人等の面前で棄権がたやすく認識されることにより著しく棄権の自由とその秘密が侵されている」という原告の論法に従うならば、現行のすべての選挙は入場の際にあらかじめ有権者に配布された入場券と投票用紙とを引きかえ、それを選挙人名簿控の氏名欄に交付済の旨を記入している(この手続は、選挙の厳正をはかるため必要不可欠である。)ため、投票事務関係者及び閉鎖時間近くに入場する投票者は、つねに棄権者の氏名を知ることができる(しかも、公職選挙法第五四条により投票録の作成が義務づけられている)のであるから、すべての選挙は棄権の自由とその秘密が侵害されていて無効であるという、およそ非常識きわまる結論に達するであろう。

請求原因第七項(五)の主張もまた失当である。

四  (被告の本案前の抗弁に対する原告の反論)

原告は、被告の本案前の抗弁に対し、次のとおり反論した。

1  本件訴訟は、審査法第三六条の規定により提起されたもので、行政事件訴訟法第五条のいわゆる民衆訴訟に属する。

被告は、「審査法第三六条は同法第三七条第一項と一体をなすもので、右第三七条第一項が国民審査の無効の確認を求める訴訟の提起を許しているのは、審査手続が審査法又は同法に基づく命令の規定に違反することを理由とする場合に限定しているから、審査法の規定の合憲性を判断したり、あるいは、具体的な審査手続の合憲性を判断することは許されず、右の憲法判断を求める本件訴訟は主張自体不適法である。」と主張する。

しかし、審査法第三七条には、憲法に認められた裁判所のいわゆる違憲法令審査権をことさらに制限する明文もなく、同法第三六条に基づく異議の訴は、現行法上審査人等が国民審査の適否を争うことのできる唯一の訴訟であり、これを措いては他に訴訟上審査法令及び審査手続の違憲を主張してその是正を求める機会はないから、およそ国民の基本的人権を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるとき、審査法第三七条は裁判所の違憲法令審査権を制限するものでないと解するのが相当である。さらに、審査法及び同法に基づく命令は、憲法の諸規定に違反しないように解釈されるべきは当然であり、国民審査の具体的実施手続も憲法の諸規定に違反しないように運用されるべきものであるから、審査法及び同法に基づく命令の解釈並びにその具体的審査手続の運用に憲法違反の有無の判断をすべき余地があるときには、裁判所は、その職責上、憲法適否の判断をなしうるものと解すべきである。

2  被告は、審査法第三六条及び第三三条第二項を根拠に、本件訴訟を提起できるのは、

①国民審査において罷免を可とする裁判官があつた場合に限られ、②このような民衆訴訟は憲法第三二条にいう「裁判」にあたらない、などと主張しているが、暴論といわざるをえない。

①については、たしかに、審査法第三三条第二項は、あたかも罷免を可とされた裁判官の氏名の告示のみを定めたかのような表現になつているが、同条第一項と一体にしてこれをみるならば、審査会の審査の結果を報告された被告は、これを官報に掲載すべきことが要請されていると解すべきであり、現に被告は、いままで罷免された裁判官は一人もいなかつたにもかかわらず、罷免されない旨の告示を継続して行つてきたのである。②については、憲法第七六条、第三二条を含む憲法体系上被告のように解釈する余地はありえない。

五  (証拠関係)<省略>

理由

一被告の本案前の抗弁について

本件訴訟がいわゆる民衆訴訟であり、しかも審査法第三七条第一項によれば、同法第三六条による訴訟においては、審査について同法又はこれに基づいて発する命令に違反するときは、審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、裁判所は、審査の全部又は一部の無効の判決をしなければならないとされていることは、被告の主張するとおりである。

しかし、右の規定は、審査について法令違反があり、それが審査の結果に異動を及ぼすおそれがある場合に限り、裁判所は、その審査の全部又は一部の無効の判決をなすべきものと定め、無効判決をなすべき場合を法令違反に限定するとともに、仮に審査に法令違反があつても、それが審査の結果に異動を及ぼすおそれがないときは無効判決をしてはならないというに過ぎないのであつて、この規定があるからといつて、当該訴訟において――これが民衆訴訟に属することを考慮に入れても――裁判所が審査法の規定そのもの、あるいは、具体的な審査手続が憲法に適合するか否かを判断することができないものと解するのは相当ではない。

次に、被告は、審査法第三六条及び第三三条第二項を根拠として、審査において罷免を可とする裁判官があつた場合に限つて、本件訴訟を提起することができる旨主張するけれども、そのように解するのを相当とする実体的理由を欠くのみならず、同法第三三条第二項の字句だけをみると、あたかも「罷免を可とする裁判官の氏名を……告示」することのみを定めたかのようにみえるけれども、これと同条第一項の規定とを総合してみると、審査会の審査の結果の報告を受けた被告は、これを官報に掲載すべきことを要請されているものと解することができる(被告は、従来、罷免を可とされた裁判官がいなかつたにもかかわらず、罷免されない旨の告示を行つてきたことは、公知の事実である。)から、右の条項の文言を根拠として、罷免を可とする裁判官がなかつた本件審査について本件訴訟を提起することはできない旨の被告の主張は採用することができない。

よつて、被告の本案前の抗弁は理由がない。

二本案について

原告主張の請求原因第一ないし第三項、第五項、第六項中「審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免理由の有無の判らない者等の、絶対多数の無記入投票を全部罷免を可としない部類に算入し」とある部分を除くその余の、各事実は当事者間に争いがない。

よつて、同第七項の無効原因について、順次検討する。

(一)  原告は、まず第一に、審査法は、最高裁判所の裁判官の任命を問うものと規定すべきであるにかかわらず、解職投票を規定したのは、憲法第七九条第三項に反し、無効であると主張する。

憲法第六条第二項によれば、天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命し、同法第七九条第一項によれば、最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、内閣がこれを任命することになつているが、憲法は、最高裁判所の裁判官が任命されてから国民審査によつて罷免の有無の審判を受けるまでの間の裁判官の地位につき何ら特段の規定を設けていないから、右任命行為によつて最高裁判所の裁判官の任命は完了するものと解される。そうして、憲法第七九条第二項及び第三項は、既に任命行為の完了した最高裁判所の裁判官について、国民にこれを罷免する投票、すなわち解職投票を行うことを認めたものと解するのが相当である。もつとも、同条第二項の「最高裁判所の裁判官の任命は……審査に付」する旨の字句だけを見ると、任命自体を審査するようにも見えるけれども、同項は更に、最初の国民審査後「一〇年を経過した後初めて行われる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。」と規定し、また、同条第三項の「前項の場合において投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は罷免される。」の規定と照し合わせてみると、憲法第七九条の規定する最高裁判所の裁判官に対する国民審査の制度は、天皇又は内閣の任命行為の適否の審査ではなく、いわゆる解職の制度であることは明らかである(最高裁判所昭和二七年二月二〇日大法廷判決・民集六巻二号一二二頁ほか参照)。

したがつて、右国民審査を任命についての審査と解し、これを前提として審査法の違憲をいう所論は採用することができない。

(二)  次に、原告は、審査法第一三条の規定に基づき設けられた今回の投票所の入口と出口とが同一で、しかも一か所ずつしか設けられていなかつたため、選挙の投票のため投票所に赴いた者に対し、その好むと好まざるとにかかわらず、国民審査の投票をなすべきことを強制するものであつて、憲法一三条に違反し、無効である、と主張する。

本件審査のための投票所が審査法第一三条の規定に基づいて設けられたもので、衆議院議員選挙の投票所と審査の投票所との入口及び出口が同一で、しかも一か所ずつしか設けられていなかつたので、選挙の投票を行う者は、審査の投票所を通らなければ場外に出られない施設になつていたことは、被告において明らかに争わないところである。しかしながら、選挙の投票をした者が、審査の投票をしないで場外に出ることを妨げるような強制措置が講ぜられていたと認めるに足りる証拠はない。また、審査の投票所において、投票用紙の受領を拒むことも可能であつたと考えられるし(被告の主張するところによると、投票所には「投票したくない人は、投票用紙を受け取らないで下さい。投票用紙を受け取つたあとでも、投票したくない人は、投票箱に入れないで係員に返して下さい。」との文言の記載された注意書が掲示されていたという。)、その受領を強制されたと認めるに足りる証拠もない。更に、投票用紙を受領したとしても、投票の意思を有しないならば、その用紙を持ち帰ることは許されないが、その場で破棄することは可能であるし、投票用紙を投票箱に投入することを現実に強制されたと認めるに足りる証拠はない。

したがつて、本件審査が、身体の自由及び表現の自由を侵し、憲法第一三条に違反するという原告の(二)の主張は理由がなく、採用することができない。

(三)  原告の(三)の主張について判断する。

審査法第一四条、第一五条、第二二条の規定によれば、審査を受ける複数の裁判官の氏名を印刷した一枚の投票用紙を用い、罷免を可とする者に対してのみ×印を付することとし、×印以外の事項を記載したものは無効とすることにしているため、そのうちの一名の裁判官のみの罷免を欲し、他の裁判官について棄権しようとする者に、その方法が認められていないことは、所論のとおりである。

しかし、裁判官の国民審査の制度は、いわゆる解職の制度であつて、何らかの理由で裁判官罷免を可とする者が積極的にその旨の投票をするので、特に右のような理由を持たない者はすべて(罷免を可とするかどうか判らない者でも)白票を投ずることにより積極的に罷免を可とするものでない旨を表明すればよいのであり、また、そうすべきものなのである。これが国民審査の本質である。それゆえ、審査法が連記の制度を採つたため、一部の裁判官だけに×印の投票をしようと思う者が他の裁判官については当然白票を投ずるのやむなきにいたつたとしても、この裁判官については罷免を可とする理由はないのであるから、それはむしろ国民審査の目的に合し、憲法の趣旨に適するものである。また、右の投票者は、棄権を選ばず投票することを選んだ者であるから、個々の裁判官ごとに棄権する途がないとしても、棄権の自由を不当に奪つたものとはいえない。したがつて、原告指摘の審査方法は憲法の保障する思想及び良心の自由を不当に侵害するものではなく、審査法第一四条、第一五条、第二二条は、憲法第一三条に違反しないものというべきである(前掲の最高裁判所判決参照)。

したがつて、原告の右(三)の主張は、採用することができない。

(四)  原告の(四)の主張について判断する。

審査の投票は、審査法第三二条の規定により、無効投票以外の全投票を×の記号のある投票と無記入の投票との二つに分けて、×の記号のある投票を罷免を可とする投票とし、無記入投票を罷免を可としない投票として取り扱うことは原告の主張するとおりである。したがつて、無記入投票のうちには、原告の主張するような審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名をすら知らない者、各裁判官について罷免の事由の有無を知らない者等の投票も含まれているであろうことは否定できないものと思われる。

しかしながら、裁判官の国民審査は、裁判官を罷免するかどうかを決定するための解職の制度であることは前記説示したとおりであり、積極的に罷免を可とする者(×の記号を記載したもの)が多数かどうかを決定するものであるから、無記入の投票は、すべて(原告の主張する審査の何たるかが判らない者、裁判官の氏名を知らない者、罷免すべきかどうかが判らない者の投票であつても)積極的に罷免を可としない投票として取り扱うことは、決して解職の制度の趣旨に反するものではない。したがつて、審査法の定める右のような取扱をもつて、必ずしも原告の主張するように、投票者の意思をまげて解釈し、あるいは、本人の欲しない法律上の取扱をするものであるとして、これを違憲視することはできない。

したがつて、原告の右(四)の主張も理由がなく、採用することができない。

(五)  最後に、原告の(五)の主張について判断する。

審査法第一四条、第一五条、第二二条、第三二条によれば、×印を記載することなく投票すれば、罷免を可としない投票として取扱われるため、白票による棄権の方法が認められないことは所論のとおりであるが、棄権する方法は、原告の主張する(5)の方法によつても可能であり、この場合棄権の有無は何人にも判明しないものであるから、白票による棄権が認められていないからといつて、棄権の自由及びその秘密が侵害されたものということはできず、また、憲法第一五条第三項に違反するものとも解せられない。したがつて、原告の右(五)の主張は、採用することができない。

三以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(杉山克彦 井田友吉 高山晨)

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